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記楽庵

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カテゴリ:コラム( 7 )

人の心

皆様。
地震発生後すぐから今に至るまで、
数々のご心配の電話、メール、コメントなど心から感謝致します!

11日はライブの予定で朝から出ていました。
13時からライブハウスでリハをし、
本番までの空き時間が長かったので港区辺りを車で移動をしている時に、
今回の地震に遭いました。

かなり強烈な、そして長い長い揺れで、
都心のど真ん中で首都高の高架の真下。
尋常じゃないぐらいに揺れて曲がる目の前の道路標識や信号、電柱。
波打つ道路。
人生で二度目の「今この場で、このまま死ぬかもしれない」が頭をよぎりました。
一度目は阪神大震災の時です。

そう思いながらも意外にも冷静な自分。
カーナビのTVをニュースに変え、揺れが治まるのを待ちました。
約3分。もの凄く長く感じました。

揺れが治まった時には自宅の方面へ向かう判断をとっさにしました。
それでも少ししてはまた強く揺れ、治まってはまた揺れの繰り返し。
その都度外の状況や回りの車の動きを見ながら、
ルートを入念に選んで上手く帰ることが出来ました。

近隣に火災が無いことを確認して自宅に入ると、驚きの光景。
生活エリアは冷蔵庫や電子レンジのたぐいが全部定位置よりも飛び出ていて、
台所周りのタイルには亀裂、
押し入れ内も暴れたようで押し入れの扉は全部開いてました。

作業部屋エリアはラックの機材やスピーカーは棚から落ちかけギリギリセーフ。
マーシャルキャビ+ケトナーヘッドの重い機材も30cmぐらい手前に出てたり、
ギターはネックが相当ベンドされたようで全てのギターのチューニングが狂っていました。
CDや楽譜のたぐいは崩れて散乱していました。

何とかライブハウスに連絡を取るとイベント遂行予定ということで、
取りあえず余震が来ても崩れないように応急処置をして向うことに。

しかしもうすでに都内の交通は完全麻痺。
30分程度の距離に三時間掛かり、その後完全に閉じ込められた形になりました。
携帯もほぼ繋がらなくなっていたのですが、
もう出演時間には到底間に合わないだろうと何度も電話を掛けているとやっと繋がり、やはりイベントは中止になったとのこと。
すぐさま引き返しましたがさらに渋滞は進み、帰りは五時間掛かりました。

その後その足で阪神大震災を教訓に備えをしておこうと、
まず給油をし、一晩分の物資や避難用に電池やその他必要な物を買って帰りました。
次の日は水の確保と一週間分の食料確保。
ですがもうすでにスーパーやコンビニでも棚は空っぽ状態に。

そんな時に思ったのは、僕は一人なわけで、
周りを見ると家族連れの人達がほとんど。
だから本当に必要最小限の食料と水を確保してあとは子供がいる家族の人達に譲ろうと思いました。

そういう光景を目の当たりにして、揺れも味わい、
今は余震に余談を許さない状況。
今は節電が最重要で、蛍光灯一本で暖房器具は使わず、
お風呂はローソクの灯りで生活しています。
今日からは最寄りまでは電車は来ませんし、明日からは23区内も計画停電です。

まだまだしょっちゅう揺れていますし、
3日間でマグニチード7クラスの余震が来る確率が70%。
僕の家は埼玉の自衛隊駐屯地からそう遠くないので、
深夜でもヘリがバタバタ飛んでいるのがわかりますし、
救急車消防車はいつもよりはるかに多く出動しています。
原発も怖いです。

東京の人はきっと友人の連絡には「大丈夫!」と答えているでしょうが、
ぶっちゃけもの凄い張りつめてます。
東京など全然マシな地域でもこんな状態です。

東北の被害の多い地域の方々の心情は想像出来ません。
たとえ阪神大震災を経験していたとしてもです。
人はその立場にならないとわからないのです。
それが当然で、それをわかろうと歯がゆくなったりする必要も無いと思います。

何故こんなことを言うかというと、
それは冷めてるとか諦めとかそういうことでなはくて、
今こういう時だからこそそれぞれの地域で自分たちの立場や存在をはき違えないで欲しいと思うからです。
立場は絶対的に違います。ましてや平等でもない。

沢山の亡くなった人がいる中で、
被災した人、被災してない人で平等があるのなら、
命があるということだけ。
ただ生きているということだけです。
でも今はそれすらも確認することが出来ず止め処ない不安に襲われている人が沢山います。

僕が今思うのは、今この国で起きている未曾有の災害に対して、
人がしようとすること、してることに怒ったり嘆いたり責めたりしないで欲しいと願っています。
誰かの起こした行動に賛否を唱えたり、他人の言動に苛立ったり、政府を批判したり。

今は信じるしかないんです。
怒っていいのは現地の災害に遭われた人だけ。
でもその人達はそんな余裕も無いんです。
ただ大切な人の無事を願い、不安に襲われながら祈ることしか出来ないんです。
ただ呆然と立ち尽くすことしか出来ない人も沢山いるのではと…。

被災していない人は、何か出来ないかと思うことは何でも良いと思います。
でも何も出来なくても良いと思います。
誰も責めないし誰も間違ってない。


誰かが善かれと思って起こしたアクションを責めないで。
アクションを起こさない人を責めないで。
泣いたっていいし、わざわざ泣かなくてもいい。
笑顔の人を責めないで。
自分自身を責めないで。

嘆くべきは自然の恐怖で、人は決して無力じゃない。
心をささくれ立てずに平穏に。
隣の人に優しく、その人はそのまた隣の人に優しく。
その繋がりが悲しんでいる人を癒しながらどんどん進んで行って、
この国の一番悲しい所、痛い所に届くように、癒せるように。
そして世界の一番悲しい所、痛い所に届くように、癒せるように。

小さな惑星の小さな国。きっと出来る。


僕も祈りますよ。怖いから(苦笑)

あ、全国の音もだち(お友達 笑)
僕ね、今ほら、節電やからアンプとかの類いで音出せないから。
あと宮城の素敵なギタリストのお友達はもっともっと大変なんだ。
だからアンプで音出せる時は思いっきり弾いて歌って、
楽しい想いを届かせて下さい。
そしたら節電なんて大した苦じゃ無いよ。
自粛される人はそれもまたありがたく受け止めます☆

次のライブで会いましょう!



大塚秀記
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by rungaina_hideki | 2011-03-14 04:50 | コラム

他のどこでもなく目の前にあるものこそが奇跡であり希望である

昨日は、10月11日に行われた友人の追悼ライブの企画者の面々で
打ち上げ的な機会を持てました☆

全員のスケジュールが中々合わず、ようやくこの日に集まれました。

イベントの無事終了の乾杯をした後はそれぞれの近況や来年の動きなどを話したり、合間合間で冗談など言い合って楽しく過ごしました。
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今年は本当にいろんなことがありました。

身近な大切な友人が二人も亡くなってしまったこと。
この悲しみは消えることはありません。

それでも今共に過ごしている仲間と同様に亡くなった彼らに出会えて本当に良かった。
いつかきっと必ずまた会えるでしょう。
その日までしばしのさよならです。

僕らはまだまだ長い長い旅の途中で、どんなに悲しいことが起きても明日は来ます。
でも明日は当たり前に来るものでは決してなく、
毎日は奇跡のような一瞬なんだと命を賭して教えてもらいました。

何もしないで今日が終わるのは大きな罪なのかもしれません。
明日、今日のことを後悔しないように手を抜かず今を生きたいです。
そしてそんな毎日を繰り返して旅をして行きたい。

そう、今年は悲しみだけでなく、希望ある景色も沢山見れました。
輝ける一瞬がまだまだ待っています。

明日がどんな日になるかは今日の自分次第。
さぁ!明日はどんな日になるんでしょう☆

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亡くなった友人のご両親から手紙が届きました☆
写真ではちょっと見にくいでしょうが、宮崎県の海にはポインセチアという花が咲いていて、
この花が咲くことでクリスマスを告げているそうです(^_^)


大塚秀記
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by rungaina_hideki | 2009-12-04 14:33 | コラム

毎日は素晴らしい

以前に前回のライブ後からメランコリックだと書きました。

きっとその原因は自分ではわかっています。
今はまだ全ては明かせませんが。


仲間が大切です。

でも人間は他人と同じになることは決して出来ません。
皆それぞれ違う道を歩んでいて、それぞれの違う考えを持っているから。

それでも同じ時代にめぐり逢えたことは運命です。
そして音楽というもので繋がっていて、
ほんの少しの間でも想いを一つにして同じ景色を見ることができたこと。

今年はそんな機会が本当に多かった。

離れていても、どこにいても、
同じ喜びや痛みを少しだけでもわかり合える仲間がいる。
それはとてもかけがえのないことですね。


ここにいては出来ないこと。
ここにいるからこそ出来ること。


どこにいても、どこへ行っても自分の選んだ道に誠実に、
そして一心不乱に最善を尽くさければ。

まだ何も始まってないしまだ何も終わってない!
限界などない!


大塚秀記
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by rungaina_hideki | 2009-11-27 13:46 | コラム

泣きながらでも、歩こう

お久しぶりです☆
9月末からしばし大阪を離れていました。

そして帰ってきてすぐの10月11日(日)、
大阪市西区靱本町にあるミセス・ドルフィンというライブスペースで行われた
追悼ライブに参加して来ました。

そう、今年の3月に亡くなった友人の追悼イベントです。
僕は及ばずながら企画段階から参加させてもらい、
ライブにはRUNGAINAとして二曲ほど参加させていただきました。


思えば2月に見舞いに行った日も晴れ。
彼が亡くなった日も晴れ。
告別式の日も晴れで、そしてこのイベント当日も晴れでした。

そのどれもが快晴の晴れです。
まるで生前の彼の笑顔のように一点の曇りもない晴れ…。


イベント当日は彼のご家族もはるばる宮崎県から来られ、
十代の頃からの仲間や恩師、大先輩の方々もたくさん来られていて、
その誰もが思い思いに演奏をし、出番以外では終始イベントを観覧されていました。

言葉では語り尽くせませんがそれは本当に心のこもった時間で、
彼の人柄にふさわしい仲間たちと、そして彼に捧げるに恥じない素晴らしいイベントでした。


本当に素晴らしいご家族と仲間たち。
皆が彼を心から愛していて、そしてその場にいる全員を愛しているのがわかりました。

全員の想いの力の強さで、
素晴らしいイベントにすることが出来て本当に良かったです。

ですがはっきりと言えるのはそれだけどんなに素晴らしいイベントだったとしても、
彼が今も生きて笑顔で大好きなドラムを叩いていたとしたら…ということと比べると、まったく比べられないほどの小さな輝きです。

それだけ彼の命は大きく光輝いていました。
そしてその命の輝きというものは誰もが皆同じだということです。

そしてそれを想うことの一つ一つは小さな輝きですが、
今を生きる僕らはその素晴らしい光たちをたくさん集め、追い求め…。

彼の生きた証である大きな輝きに近づけるよう、
『命の証』を受け継いでいかなくてはならないのだと強く思いました。

また一つ、前に進む勇気をもらえました。
本当に本当にありがとう。


大塚秀記
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by rungaina_hideki | 2009-10-14 16:53 | コラム

約束

友人の告別式に出席するため宮崎まで行ってきました。

大人になってから人前でこんなに泣いたことはありませんでした…。

RUNGAINAの始まりは、
彼と僕とが一緒にやっていたバンドで出演していたイベントに、
当時ソロで出演していた千理さんと出会ったのがきっかけです。

僕と彼とで、自分達の出演後に千理さんのステージを一緒に観て、
その後に千理さんも交えていろいろ音楽の話をしました。

そしてRUNGAINAとしての初めてのライブの時には、
彼がスタッフとしてライブを支えてくれました。

きっかけとなる大切な時にはいつも彼が近くにいてくれました。


僕は『約束』というものをあまりしません。
それが確約出来る保証など無いからです。
未来についてのことなら尚更です。

日常の遊びに行ったり飲みに行ったりというようなことは約束しますが。

でもこの日は彼と約束をしました。

前回にも書きましたが、
彼はRUNGAINAのドラムを叩きたいと言ってくれていたんです。
病気になる前、そしてなってからも。
だから僕らがこれから見る景色はイコール彼が見る景色でもあると。

だから彼が生きて自分で見れなかった景色を
必ず僕らが見せてやると硬く何度も約束しました。
絶対にです。
何が何でもこの約束を果たして見せます。


大塚秀記
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by rungaina_hideki | 2009-03-06 15:27 | コラム

I will Survive

3月1日の早朝に大切な友人が亡くなりました。

少し前に宮崎県までお見舞いに行ったと書きましたが、
その友人が亡くなりました。

彼はとても真面目で素晴らしいドラマーでした。
悲しくて悲しくていたたまれません。

彼が病気にならなかったら、
病気が発覚した後も病気が治っていたら、
彼にRUNGAINAのドラムを叩いてもらう機会もたくさんあったと思います。

僕らがこの先に見る景色は、イコール彼も見るはずの景色です。

そのことを胸に刻んで、素晴らしい景色をより多く見れるよう、
僕らは生きて頑張ります。

何が何でも…。


ご冥福を心から祈ります。


大塚秀記
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by rungaina_hideki | 2009-03-02 02:29 | コラム

命題

先日の祝日を利用して宮崎県へ行ってきました。

休日が一日だったので、フェリー泊で宮崎入りし一日過ごし、
またフェリー泊で大阪に戻るという形です。
同行メンバーは心開ける音楽仲間の同士達です。

そう、僕らはこの中に共にいるはずの『彼』に会いに行きました。

今から2年前に23歳という若さにして大きな病に侵され、
その病魔は彼の命の次に大切なドラムを叩くということを奪いました。
そして言葉を奪い意識を奪い、今は命までもを奪おうとしています。

彼は僕らの仲間の中でも一番と言っても問題無いくらい真面目で、
いつも必至に努力を積んでいる人物でした。

ただ真面目に実直に、自分の生きる道をもがいて前に進もうとしていただけの
そんな彼から、もうこれ以上何も奪わないでほしい。

でも彼がこうなってしまったことにも何かしらの意味があるのかもしれない。
自分の全てを犠牲にしてでも守らなければならなかったことが。
伝えなければならなかったことが…。

それでも僕はそんな意味などわからなくていい。
だから嘘でもいいから元気な頃の彼を返して欲しい!
ただただそう想うばかりです。

しかし彼が元気な頃に生きた証、
そして今も必死に生きようとしている証は僕たちの心には刻まれています。

何も出来ませんが、ただひたすらに彼の心の平和を祈っています…。
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当日の宮崎の空は泣けるほど晴れ渡っていました。


大塚秀記
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by rungaina_hideki | 2009-02-13 16:00 | コラム